2021-05-18 第204回国会 参議院 内閣委員会 第19号
次いで、一人一人の人格を尊重しない関わりが四十六の自治体、物事を強要するような関わり、脅迫的な言葉掛けが四十五の自治体で確認をされました。このほか、性的虐待、園児の置き去り、子供の訴えに対応しない、そういった例もありました。 厚生労働省にお伺いします。
次いで、一人一人の人格を尊重しない関わりが四十六の自治体、物事を強要するような関わり、脅迫的な言葉掛けが四十五の自治体で確認をされました。このほか、性的虐待、園児の置き去り、子供の訴えに対応しない、そういった例もありました。 厚生労働省にお伺いします。
これは、この言葉による、先ほど虐待、著しい暴言等と申し上げましたけれども、体罰でありますと、著しいというものじゃなくて、一般的なもう軽いものも含めての言葉により戒める行為についても禁止ということに、禁止といいましょうか、になりますと、正当な言葉による叱責と不当な言葉掛けとの線引きにつきまして、なかなかやっぱり現時点では国民的な合意ができていないのではないかというふうに考えております。
一方で、この体罰でございますけれども、身体的なものでございますけれども、そういった著しいということではなくて、そういう意味では、相当広い範囲について体罰については基本的には禁止という、こういうふうに考えておりますので、その中で、その言葉というものを体罰の範囲に加えますと、なかなかやはり正当な叱責、厳しく叱る行為と不当な言葉掛けとの線引きが難しいのではないかというふうに考えております。
それで、今回の体罰の範囲に言葉による戒めを含めていない理由でございますけれども、正当な言葉による叱責と不当な言葉掛けとの線引きについて国民的な合意ができておらず、言葉による心理的負荷については明示的に禁止することが現段階では困難ではないかというふうに考えております。
だからこそ、助けを求める人たちが頑張るとかではなくて、それを提供する私たちが、それは社会的養護の支援のみならず、いろんな支援の窓口にいる人たちが、どういった言葉掛けとか、初めに出会ったときにどういった対応ができるかで、ああ、ここに相談して良かった、ああ、勇気を出して行って良かったと思ってもらえる、一番初めの出会いのところってすごく大事だと思うので、そこのまた、何か専門性、専門性としつこいんですけど、
今大臣からも少し御指摘がありましたけれども、LINE等SNSを使った相談窓口というのは、これまでの電話とは違いまして、電話でしたら声のトーンですとか話し方なんかでその電話を掛けてきた子供たちに寄り添うという気持ちを伝えるということができるわけでありますけれども、SNSを使った場合には、音声ではありません、文字だけですので、そういう中でどういう言葉掛けをしていくのか等々、これまでの音声によるカウンセリング
高等学校においても、現在の制度の開き方としては、一定の上限を設けながら制度を改革をしたところでございますけれども、小中学校のような義務教育の子供たちに対する教育として、直接の人間的な触れ合いの中で、先生が子供たちの様子とか顔色とか、机間巡視等しながら子供たちに言葉掛けをしたり、様々な教育的な働きかけをしながら授業を展開していたり、あるいはあえてその子にみんなの前で発表させたり、様々な教育手法といいましょうか
実は、がんと診断された方の、患者さんの診断後一年の間の自殺のリスクというのが普通の人の約二十倍といった調査結果もありまして、診断時から患者さんの心情に配慮した丁寧な説明とか言葉掛けが重要だと。主治医がもちろんそうなんですけれども、その役割を緩和ケアチームとかが担っていけるようにしたらどうかなというふうに思います。
ただ、中にはやっぱり理念的なもの、例えば人権の問題とか、それから人に対するやっぱり声掛け、言葉掛けが非常に悪いとか、そういった問題のある人、そういうのもおると思います。
生活面における効果の理由としては、⑤基本的な生活習慣の定着に向けての細やかな指導ができるとか、⑦今まで以上に多くの子供への言葉掛けができる、⑥心のサインをキャッチして迅速な対応ができる等を挙げております。 それから、ちょっと二枚飛んでいただけますでしょうか。右肩の赤のナンバー1を御覧ください。
児童の整列に当たる先生の表情も和らぎ、指示もゆとりあるものとなり、僅かな時間でも心を通わせる言葉掛けができたのではないかと思われます。最後まで歓迎ムードに満ちた思い出深い入学式の日となるものと思われます。 小学校生活のスタートは入学式です。校長の祝辞に始まり、六年生の歓迎の歌で終わります。
何でそういうことをしたんですか、何でそういうような言葉掛けをしたんですかと言うと、教員側の自分の思惑だとかというようなことをつらつら述べます。ただし、それが、要するにされた側、受け手側の子供にとってどういうふうに受け止めをされたか考えていますかということについて、その辺の視点ですけれども、それが弱いあるいは欠けているというのが共通して言えるかというふうに思います。
その上で、そのこと自体の精神的なプレッシャーもある上で、様々な言葉掛けの足りなさなり対応の乱暴さなりの中で、減らされて、受け取れないんじゃないか、受給できないんじゃないかという不安がいつもいつも、毎回毎回あるんですね。 だから、それは本当に身近な窓口の対職員なんですよ。
ようやく行った支援の場で、例えば心ない言葉掛けをされたり、心ない対応をされたりすることによって、先ほど申し上げた児童扶養手当の窓口での対応でもそうなんですけど、生活保護の対応でもそうなんですけれども、そういうふうに対応されると、本当にもう力尽きている上に完全に力尽きてしまうということになってしまうし、その上で、なお声を上げろ、発言をしろ、そのことによって自治体を変えていくことになるのだというふうに、
太平洋を越えちゃうとこんなに親から子への言葉掛けでも違うもんかなっていうふうに思ったんですけれども。 あと、やっぱりサッカーですね、子供二人とも地区のサッカーチームに入れまして、コーチは大学時代にサッカーやっていたという銀行員のお父さんがボランティアでやっていてくださったんですけれども、長男はシュートを入れたんですけど物の見事に失敗するわけですね、入んなかったんですね。
各学校では、重度の子供に対してかかわり方や言葉掛けを工夫することにより自発的なコミュニケーションを促進する方法や、機器を用いてコミュニケーションを図る方法などがそれぞれの子供のニーズに応じて使われておりまして、都道府県の特殊教育センターなどではそれらの専門的な研修講座が開かれているところでございます。
先ほど申し上げましたように、そのことが、本人はわがままでもない、頑張ろうとしているのにそういう行動に出てしまうところを、大人の方からしかられたり、ちょっと不用意な言葉掛けをされたりする中で、自分はどうせ駄目なんだとか、自分はどうしてもできないというふうな、自尊心が低くなっていくような、そういう状況を是非止めていきながら、不登校や不適切、反社会的な行動を予防していくような、そういうかかわりが是非とも必要